2024年
4月
26日
金
ワルシャワを経由してプダペストに来ました。(旅の途中で体調が悪くなったことを考え、日本からの発着地の空港を基地にして、そこから別の場所に動くように旅を設計しています)
ワルシャワに降りて次の飛行機まで4時間半あったので、電車かバスでワルシャ市内に出て散策などしてみようかとも思ったのですが、外に出ると寒く感じ、これだと体調崩すかも・・・、と考えて空港で待機することにしました。
空港内は外よりは暖かかったですが、少し喉の調子が変な感じになってしまいました。けれど、出発時間が近づきチェックインしてゲートの中に入ってラウンジに入ったら、中は十分に暖かくて、これで体調は戻りました。
ポーランドの空は写真のような感じでしたが、ハンガリーに入ると大分日差しも出て来て、ホッとしました。気温は13度とのこと。(下の写真)
風景がだいぶ違う感じがしますね。
空港に降りて、いつものようにタクシードライバーがARRIVALゲート前で待っていてくれると思ったのですが、ここでは規則で「空港内ではプレートを持って待てない」のだそうで、暫くドライバーと会えず、難儀しました。
それにようやく彼に会えて出発したのですが、英語があまり得意なようではないし、更に住所を間違って市の中心部まで行ってしまい、目指す宿には1時間近く遅れての到着となりました。
(私としては市の中心部が見れて却ってよかったのですが、彼にしてみると時間とガソリン代を損しただろうと考えて、手持ちのフォレントから何ぼかドネーションをしておきました)
運転手さんと宿のオーナーさんの話を総合すると、ハンガリーは小高い山々に囲まれた大きな盆地的形状の国で、そのおかげでモンゴルの侵攻を撃退できたのだそうです。また、今の人口は200万人で、一極集中とのことでした。地方が寂れて行くのは、どこでも同じなんですかね? それと、1900年代にソ連が侵攻して来た時は、空港から町まで戦車が大挙並んだ、とのことでした。恐ろしいことがあったものです・・・。
(モンゴル時代から、あの辺りの人は、他国多民族征服の強い意欲を潜在的に持っているのではないかと思います)
今日は飛行機のスケジュールの関係で、観光はしていません。(臨時のタクシーでの観光があったのみ) 無線は14MHZFT8と7MHZFT8で11QSOできました。
2024年
4月
25日
木
ワルシャワのショパン空港から飛行機が飛び立った時の情報では、プラハは晴れ、気温5℃! これは少し着こんでいかないといけないなあ、と思いました。
ポーランドは雲に覆われ、飛んでいる間じゅう、大地は見えませんでした。着陸の10分ほど前になって、ようやくカスミが取れて来て、これなら何とかなるかな? と期待が生まれました。
今回の主眼はカレル橋なので、空港に荷物をデポし、タクシーで市内に向かいました。(タクシーは旅行社に事前予約をしておいた)
ドライバーは若い青年で、途中、どれが何の小塔で、とか、この道からの街が一番素晴らしい、等々、いろいろと教えてくれました。帰りのことを考え、フォーシーズンズホテル前で下ろしてもらい、歩き始めました。
カレル橋は、写真のような塔が橋のたもとに建っていて、その下を沢山の観光客が歩いています。橋の名前はCharles Bridgeで、「シャルルの橋」です。街の中心を流れるヴァスタヴァ川に掛かる橋の一つで、途中に聖人などの像が建っています。写真では人は少なく見えますが、頃合いを見て撮った訳で、実際はかなり込んでいます。(ローマよりも沢山人がいる印象でした。韓国の人が結構来ていました=運転手さんの話では、直行便があるそうです)
ちなみに、空港から市内まで車で30分ほど掛かりますが、3~4000円ほどでした。フランスの1/3、日本の半額・・・。これでは若い人の職業としては大変ではないかと思いました)
幸い日差しがあったので、歩き始めた1時20分頃から3時頃までは寒くなく歩けました。(それ以降、日差しが途絶え寒くなった)
今回歩いた部分は、上の地図の青い線のような感じです。フォーシーズンズホテル前⇒カレル橋⇒プラハ城⇒LETNA公園⇒川べり⇒カレル橋⇒フォーシーズンズホテル前 です。人が多くて、橋自体は上手く写真に入りませんでした。(小学生か中学生くらいの生徒さんの団体が多かった)
川には遊覧船が浮かびますが、川そのものは茶色の濁り水で、綺麗な、という訳ではありません。全体的な景色を見るのに良いなあ、と思ったのは、LETNA公園の展望台で、一番下の写真のように見えます。幾つかの橋が同時に見え、大変に良い感じ。
宿に戻ってから、近所のDIVOKA SARKAという公園を歩いてきました。頃合い、日本の地方都市の公園、という感じですね。二番目の写真の岩山を上まで登ったら、上が草原でビックリしました。今日はトータルで13kmほど歩きました。
チェコ共和国では道はよく整備され、どこに行っても綺麗だし清潔感があります。木とか花とか道の具合とか、凄く日本に近い印象があり、今までに行った国では、一番日本に近いなあ、という印象を受けました。(日本より綺麗です)
タクシーの運転手さんの話では、先週は気温が27度もあったとか。それが一気に冷えて、今日は最高気温10度。豪い変化をしていて大変です。夕方19時過ぎてもまだかなり明るかったですが、寒くなってきたので早々に宿に戻りました。(散策の途中でお花を見受けました。沢山、咲いてました)
チェコは何処でも清潔感を感じ、素晴らしい処だなあ、という印象です。それに、ヨーロッパ一安全な国、とか・・・。
今回、ただ一つ残念だったのは、有名なビールを飲めなかったこと! でも、日本にも沢山輸入されてますし、また、この国に来るチャンスもあるでしょう・・・。
無線の方は14MHZFT8でちょこっとだけ。5QSOでした。(OK/M0JHQ)
2024年
4月
24日
水
ポーランドに来ています。本当はこの旅行は7月に催行しようと思っていたのですが、ネットで検索している際に安いチケットを見つけてしまい、ついポチしてしまいました。
写真:フレデリック・ショパン空港
結果的には少し失敗でした。羽田から出発した飛行機がヘルシンキ・バンター空港に着いたら、気温-1℃、雪が降っています! そうかあ、4月だとまだこういう気温なんだ・・・。雪の影響で各都市へ向かう飛行機は軒並み1~2時間遅れでした。
ではありますが、ともあれ今回は初めての東欧旅行です。一番の目的はプラハです。
韓流ドラマ「プラハの恋人」の冒頭で、この街の情景が、その美しさにふさわしい曲と共に流れます。「わあ、いつかはプラハに行こう!」
プラハは、しばらく前から一番行きたかった場所なんです。
本当は短期ではなく、ドボルザーク先生が生まれ育ったボヘミヤの田舎を散策したり、できればゲルラホスキーにも登りたかったんですが、今の足では無理・・・。
ということで、プラハ城とカレル橋を見られれば、今回の旅は、それでOKです。
2024年
4月
21日
日
日曜日のお昼過ぎに主催者からメールがあり、コンテスト遣ってるんだなあ、と気づいてハイバンドをワッチしましたが、ほとんど信号が聞こえません。今日はコンディションが良くないですかね? 結局28MHZで聞こえたZL,VK,VR2局と交信したのみ。
月曜朝、庭に出て戻ると鼻水がしばらく止まりません。土曜日の東京は快適でした。あちらは花粉の飛散は終了したみたいです。
2024年
4月
20日
土
今年で73回目を迎えるんですね、凄いなあ・・・。今回もSWL参加かな? 電信はパラオでいっぱい遣ってきたし・・・。
コンテスト開始21時、3.5MHZCWから聞き始めましたが、参加局が少ない感じですね。その後、1.8MHZ/7MHZ、CW/SSBと聞いて22時半まで聞きましたが、眠くなってきたので、本日はこれまで。
日曜日も6時頃から聞いていますが、CWでの参加は少なく、SSBを聞いてます。
日中も辛抱強く聞いたのですが、全くと言っていいくらい聞こえてきませんでした。7エリア局の参加数が少なく、14MHZも6エリア局のCQが聞こえるばかり・・・。
2024年
4月
20日
土
ハイキングにもってこいの季節になりました。京浜地区在の友人と一緒に、久々のお出かけです。困るのは花粉と黄砂! マスクをして歩きますか・・・。
9時半に武蔵五日市駅に集合、4名で登山を開始しました。まずは小峰公園に行き、ビジターセンターを訪問。ヤマメやアユの稚魚、ウグイ、アオダイショウ! それにアナグマやタヌキやテン、ムササビのはく製の展示など。ムササビ君が思ったより大きくてビックリでした。
その後、縦走路に入りました。
武蔵五日市駅からの道にはちょっと不思議な形状の樹が花を付けていました。
(名前が分かりません。ピンクの花で、花弁が細長くシロツメクサみたいな形状)
尾根道は快適で、よく整備されていました。
網代城山は15世紀には山城があったそうです。
城山山頂からの眺望は素晴らしい。拝島あたりまで一望です。遠く、所沢や西部のドームも見えた。
弁天山山頂は豪く暖かく、ピンク紫のミツバツツジがいっぱい咲いていました。
下りの道では、山ツツジか、橙の花が見られました。
それにしても暖かく、街部ではツツジがもう咲き終わってました。信州とは大違い!
ガイドブックには1.5時間ほどのコースとありましたが、昼食含め4時間ほど掛かって、武蔵増戸の駅まで着きました。歩行距離は7kちょっとでした。
暖かい春のハイキングでした!
2024年
4月
19日
金
パラオから戻ってみたら日本は随分と暖かくなっていて、田舎の桜も満開、すっかり春の気配でした。
CQ誌も5月号ですね!
今月の話題としては、JG7AMDさん/JQ7AXTさんの「ハムのエジプト紀行」がとても気になりました。エジプトは政治情勢の難しいお国かと思っておりましたが、渡航可能なんですね。私も行ってみたいなあ・・・。
他には、JG1UNE/小暮さんのMLAの記事。
3次元的放射パターンのシミュレーション結果が載っていて、どのように定義してシミュレーションするのか、毎回、とても気になっています。(私はMMANAを使うのがやっと、という力量です)
一昨日と昨日は、友人の薪集めの手伝いに行って来ました。桜が咲きツツジが咲き、素晴らしい春なのですが、花粉が舞い黄砂が降り、鼻水が出っぱなしだし、目もチリチリして大変です。朝起きた時も、目やにが出ていて・・・。
花粉症の無いパラオは過ごし易かったですね、Hi。
2024年
4月
13日
土
昨日の夜、グアム経由でパラオに遣ってきました。今回はJIDXコンテスト(CW)をメインに考えての運用です。夜のうちにと思ってアンテナをチェックした後、下のバンドから順にリニアの動作確認をして行き、28MHZまで行って何気なく送信したら、サムウェイDXV600Lを壊してしまいました。
(DXV600Lは24MHZ以上は対応しておらず、電源を切らないといけなかった)
ということで、今回はベアフット運用かと思います。まあ、それでどれだけ遣れるか試みてみるのも、一つの経験かと思っています。(負け惜しみです・・)
今日の午前中は24MHZFT8に出てみました。だいぶ沢山呼んでいただき、ありがとうございました。多すぎてすべての方にはお応えできず、申し訳なく思っています。
運用は最初15Wでしたが、後半は絞って9W。一人での運用で、買い物もありトイレにも行くので、中断したりするのはご容赦ください。
夕方16時からコンテストに出ます。
今年のパラオは雨が少ないそうで、ダムの水が減り、そのせいかときどき停電するそうです(昨日の夜も停電がありました)。ホテル従業員の方のお話では、フィリピンも水不足で、停電が多いとのこと・・・。
(コンテスト参加)
15:40にFT8の運用を終了し、16時よりコンテストに参加しました。21MHZから始めたのですが、受信音が低い! こういう状態には苦労します。
’ここでは、昼間の信号は弱く、夜は良い’
実はそれをもう忘れてしまっていたし、「JIDXコンテストはJA相手で、夜は皆さん寝るだろう」との推測の元、スケジューリングしましたが、リニア壊し事件の余波とかあって夜8時にはしんどくなってしまい、早々に寝てしまいました。二日目も朝は7時半過ぎ起き・・・。だいぶ疲れていたようです。
二日目も日中はかなりしんどかったですが、28MHZは割合良く聞こえて来て、何とか進められました。夜に入って20時終わりかと思っていたら、22時終わりでした!
昨年11月のSSBとは違って、今回はその時間でも14MHZの方が良い感じで聞こえ、聴いた音に難がある7MHZは、そこそこの運用で切り上げることとなりました。
結果は700QSOを少し超えたくらいでした。だいぶ寝ている時間が多かったので、上位は無理かと思います。3.5MHZでもCQは出したんですが、何も返答なく、JA局のCQも聞こえませんでした。1.8MHZは大きなノイズが聞こえるのみで、早々に諦めてしまいました。
全体の感想として、オールアジアやCQWWに比べてこのコンテストは参加局が少なく、空振りCQが多かったです、オールアジアやCQWWは忙しいのが大変ですが、CQに対して続けて呼ばれないとリズムが取れない感じがあり、しんどく感じました。徒労感みたいなものですかね?
コンテストはリズム良く呼ばれて、それが継続するのが楽しいです。
(後日談)
日本に帰ってから、コンテストと24MHZFT8の両方で交信できた方にレポートをいただきました。100W送信のCWは、ハイバンドではリアル599で届いていたとのこと!
また、24MHZFT8は、呼ぶのを躊躇うほどに弱かったとのこと。なるほど!
今回、24MHZはJ79とも交信できており、「FT8は不思議なモードだなあ」と改めて思いました。9W送信にも拘わらず・・・。
(注)カリブ⇔日本は北極回りに近く、難易度が高いですが、インドネシア辺りは事情が異なります。カリブで運用した時、VKやYBは結構電波が届きました。一方、JAはある時間帯のみ、ちょこっと開ける、という感じです。
或る方のブログで「どうしてインドネシア局がカリブ局から呼ばれているのに、JA局は?」という感想を見受けたので、参考までに。
日本に戻ったら、随分と気温が高く驚きました。
田舎でも桜と梅が一緒に咲いています!
2024年
4月
11日
木
イギリスのPOST OFFICEが運用する会計システムの問題について、昨今、あれこれと話題になっているかと思います。昨日、テレビで、その事情について解説する番組があり視聴しました。
イギリスでは、個人が、国営企業であるPOST OFFICEと契約を行い、預金などの窓口業務を行うことができる、という遣り方があるのだそうで、そこで使っている会計システム「ホライゾン」に不具合があり、2000年から2014年に掛けて、700人以上の郵便局長が横領や不正経理の無実の罪を着せられた事件があった、のだそうです。
事件は、或る郵便局長が、「自分が預かった金額とは異なった金額残高を、会計システムが示し、しかもどうやらその金額が、何かの拍子で自動的に変わって行ったりする、という症状に遭遇して、サービスセンターに調べてくれるようにお願いした」ことから始まったようです。
ITについて多少の知識がある人なら誰でも、「人間が作ったシステムは完全と言うことはありえず、何かのバグが必ず潜んでいる」と考え、少なくとも「システムに反故は無いか最初に調べる」ものかと思います。
それが今回の事件では、何度問い合わせしても「システムは完全である」との回答があるだけで、更には「貴方の側の横領か不正経理ではないか」と疑ったとのこと。その結果、営業停止に追い込まれたり訴えられて収監されたりした・・・。
⇒この時点で、「人間ではなく、機械の方をより信用しているらしい」と感じませんか?
番組を見て、あのイギリスでこういう事件が起こった、ということにまず驚き、その後、国営のPOST OFFICE側が(どうやら複数の事案が報告されてきているのに)真摯な対応を行わなかったらしきことに更に驚き・・・。
POST OFFICEのサービス受付窓口が、「システムに絶対的な信頼を置いていた」のかどうかは分かりませんが、コンピュータを全面的に信頼するのは危険である(=なんてったって、コンピュータ上で走っているプログラムは、人間が大急ぎで作った、或る意味不完全なものなのだから)ことに少しでも気づいて、問題が見つかった当初に正しく動いていれば、こういうことにはならなかっただろうと思われました。
昨今、AIのいうことを信じて自分の行動を決めてしまう人もいるようですが、AIにも瑕疵は有り、原理的に「責任を持って相談に乗ってくれるわけではない」ことをあらかじめよく知って利用すべきかと、改めて感じました。
また、何か事故や事件があった時、まずは根本原因・真実をしっかり把握することが、一番大切なことなのかなあと思いました。(飛行機事故なども、責任の所在をあれこれ言う前に、根本原因が何かを正しく突き止めるように動きますよね・・・)
2024年
4月
07日
日
今年もSWL参加です。朝9時始まりですが、7MHZCWではCQ一つ聞こえず・・・。どうしたんだろ? SSBで2局キャッチのみです。まあ、時間の長いコンテストです。のんびりやります。
今日は凄く暖かい日で、日中18℃もありました。昼間はほとんどQRVがないような状態で昼寝していたら、頭がボーッとするくらい暑かった。部屋の気温は25℃を越えてました。外は爽やかで非常に良い感じですが、花粉症がねえ・・・。
日中、あんまりにも聞こえてこなかったので、改めて昨年のログをチェックしたら、どうも17時50分頃からポツポツ入感し、21時頃まで続くようで、何ともしんどいコンテストです。集中型で2~3時間遣ってもらう方がありがたいなあ・・・。
夜、だいぶ頑張ったんですが、3.5MHZが結構厳しく昨年の9割まで届きませんでした。対象県内局が聞こえてこない時間はしんどいんですよね・・・。
2024年
4月
06日
土
昨日は雨降りで気温も7℃で寒かったですが、今日は少し薄日の差す曇りの日。午前中に買い物がてら散歩に出ました。野の花が咲き始めてますね。タラの芽もようやく少しだけ芽らしくなってきました。
このコンテスト、昨年はSWL参加でしたが(優勝)、参加局も少ないようですし、今年はQRVモードで試してみようかと思います。
(余談)
2週間前の新聞の詰将棋に応募したら、正解者10名の中に当選しました(正解者は74名)。当選は3回目です。ボールペンを貰えるんですが、SWL'erにはありがたい!
(4月7日日曜日)
昨日は20時から7MHZCWを聞き始めたのですが、信号がかなり弱いのでSWLをすることにしました。その後、21時からカズレーザーさん司会のテレビが気になって見てしまい、21時台のキャッチ数が少なく昨年の7割程度です。優勝は無理かも。
日曜日は朝6時からセンギ浚いの出払いで、1時間半ほど作業でした。
(センギは栓木の字を当て、溜池と用水路を橋渡しする水の通路のことのようですが、私の田舎では用水路自体をこう呼んでいます。何キロもの長さの用水路も、例えば集落の名前を先頭に付けて「トチの木センギ」というふうに使います)
今日はコンディションが良くないですかね? 7MHZはCQ聞こえず、14MHZは8時過ぎに4局聞こえたっきり、何も聞こえなくなりました・・・。
その後、盛り返して23QSOまでキャッチ。でも、昨年の9割まで行きませんでした。
2024年
4月
04日
木
旅から家に戻ったら、すっかり春らしくなっていました。梅の花が咲きムスカリが咲き、フキノトウは大きくなって塔になってました。春ですねえ。
郵便も幾つか来ていて、JARLからは選挙用紙が来てました。また、カードが53枚来てました。今日はのんびり返送作業をします。
2024年
4月
01日
月
昨夜は風が強く雨も降り、打ち寄せる波の音も大きかった。海辺の土地と言うのは、或る意味、大変ですね。
その昔、大分にいる頃、海岸線を走る幹線道路の脇にある4階建てのビルに住んでました。或る時、台風が来た。会社から車で帰り、駐車場に車を置いたまでは良かったものの、あまりに風が強くて、20m先の階段入り口まで歩けず、這って行った!
翌朝、台風通過の後で外に出て見たら・・・。
駐車場脇に建っていた、或る大学の大きな看板を載せていた10mほどの高さの鉄骨タワーが根こそぎ倒れていた。また、幹線道路が数百メートルに亘って、道が半分になってました!
砂浜の上に作られた道で、波が防波用のテトラポットごと砂を運んだらしく、道のアスファルトなども全て運んで行ってしまっておりました!
夜の間、大きな波音がしていましたが、今日は晴れて天気も良く、散歩に出て大公宮殿まで出かけてみました。大公宮殿は、下の右写真のような綺麗な建物です。
登る坂道が結構きつかったですが(左の写真の道の真ん中どこらに見える白いのが人です。長い坂道です)、城壁も立派でした。
大公宮殿の東側には街があって、レストランなども並びます。更に進むと政府の庁舎があり、海洋博物館もありました。博物館前には潜水艇が置かれており、何ともその形が懐かしい。007シリーズを彷彿とさせます・・・。
博物館から、道を戻り方向に取り、大公宮殿に戻ってきました。途中で、聖ニコラス大聖堂に入場できたので、入ってみました。グレース王妃のお墓もお見受けしました。
(銀盤のグレース・ケリーさんは綺麗でしたね! 好きな女優さんでした)
右下の写真は、昨日の写真で見えた例の断崖の下の港の風景です。港の向こうに、10階建てくらいの高さの四角い建物がビッシリ立っています。
帰りは、バス道路脇の歩道を下ってきました。港方向に景色が良く、また、西北方向の山に向かってのビル群も凄かった・・・。
モナコはF1グランプリで有名ですが、そのコースの一端を歩きました。レース中に、出走する車が並ぶピットも良く見えました。
鈴鹿では、その立派な設備を使わせてもらって、ソーラーカーのレースに出ました! あれからもう20年か!
今日は2時間ほどの散歩でしたが、十分楽しく歩けました。このコースは周囲に公園も幾つかあって、お勧めのコースです。宿泊したところからの歩行距離は、7.3kmでした。ニースの空港を出る飛行機の時間に合わせ、11時にモナコを後にしました。後はローマ経由で日本に帰ります。
2024年
3月
30日
土
ニースから移動して、モナコに来ました。モナコはQRVのとても難しいところで、長いこと、ヨットハーバーで遣ろうか、とか考えていたのですが、イタリアのハムの方がペディションされていた時の記事を見つけ、いろいろとお願いしてQRVに漕ぎつけました。
モナコは、海岸線と大きな岩山に囲まれたわずかなエリアが領土で、写真のように沢山の高級マンションが立ち並んでいる高級住宅街です。ちなみに、付近にお店はほとんどありませんで、買い物を先にしておくんだった、と夜中におなかが空いて後悔しました。
昨日と同じように14MHZFT8で始めたのですが、小雨が降っているし、ほとんど信号がありません。その信号も突然弱くなり、全く見えなくなる!という感じで、「今回は駄目かも」と思いました。ですが、時間が進んで暗くなり始めると信号も見え始め、66局QSOでき、幸い日本の局とも交信ができました。60w+長さ2.7mのMVでJAと交信できるのですから、FT8は凄いですね。
当初の計画ではCQWW-WPX(SSB)で沢山運用しようかと考えていたのですが、「SSBは苦手で、コールサインが上手く聞き取れない」こともあって、今回は参加することに意義があるという立場で、14MHZで4QSOだけ。それでも満足です。(夜間に7MHZで運用しようとしたら、MVの7MHZ用ユニットの配線が切れてしまっており運用できないことが分かったので、降参しました)
明日は28MHZにはトライしたいと思いますが、観光に力を置いて、いろいろと歩いてみたいと思っています。
(モナコでは運用に際し、政府に許可を貰う必要があり、空中線電力は100Wまでです)
(3月31日日曜日)
今日は感謝祭の日ですが、残念ながら朝から雨降りです。朝食後、28MHZのアンテナに切り替えてバンドを見たのですが、全く信号なし。21MHZも18MHZも駄目で14MHZが微かに、という感じでした。
で、7MHZは、というと信号が見えます。であるなら、可能な範囲で直してみるか、と、MVのコイルのリッツ線部分を予備のヒューズで擦ってエナメルを剝がし、無理やり捩じって上エレメントの電線末端に接触させました。これが上手く行ったんです!
ということで、10時頃まで7MHZFT8で運用しました。80局ほど交信できました。(夕方まで交信して129局、その後に7MHZSSBも少し運用して、コンテスト記録は6QSO)
今日の天気予報は一日中雨降りとなっていて、止む時間が2,3時間ほど。夜は大雨となっています。
(観光編)
10時を過ぎたら信号が弱くなり、呼ばれなくなってきたので外出しました。ブーランジェリーに行ってパンを買うのが第一目的ですが、小雨なら少し足を延ばして、熱帯公園まで行ってこようかと・・・。
モナコは兎に角、立体形状の国ですね。階段の昇り降りが豪く多い。Google地図では平坦に見えますが、さにあらず! 熱帯公園は写真左の中央に微かに見えるクレーンのある辺りで、標高差で100mくらいは登らないといけない。大公のお住まいのあるお城は、右写真のように断崖の上です。ちょっと行ってくる、という訳には行きません。
延々と階段を登り、30分以上かけて熱帯公園まで行って来ました。
階段はこんな感じ。街の建物は高層住宅が多く、「JARDIN EXOTIQUE」の標識を頼りに登ります。雨が降るものだから気が急き、息がハアハアして何度も立ち止まりました。
熱帯公園からの展望は良いですが、クレーンが今一! 写真だと立体感が上手く表現できてませんが・・・。
熱帯公園までのツアーは1時間半ほど掛かり、午後は昼寝してしまいました。4.3kmほど歩きました。この辺りは杉の木が無く、花粉症もなく快適です。人気の高い場所でお金持ちの人が集まり、万事高いわけですね・・・。
グレース王妃のガーデン(Roseraie Princesse Grace)は、宿泊した場所のすぐ傍にありました。バラも少しずつですが咲いています。
2024年
3月
29日
金
朝方、サルディーニャからローマ・ファウミチーノ空港に戻り、午後の飛行機でフランスはニースに移動しました。
(ローマは風が強く寒く感じ、また待ち時間も中途半端だったので、空港で時間を潰しました)
ニースは夕方16時でも気温20℃とかで、暖かいですね。
無線は夕方1時間ほど試しました。14MHZ/FT8です。WSJTXでの運用ですが、ストローク何々コールサインの場合は、いろいろと不具合が発生します。私の使っているバージョンでの不具合としては、
1)長いコールサインは受け付けできない。
(FW/M0JHQ/Pの長さは、受け付けしてもらえない)
2)/の入った同士はコールサインが表示できず、よって
交信ができない。
3)或る決まったパターンのときに、コールサインが、本来表
示して欲しい記号列から別な局のコールサインに化ける。
或いはコールサインを表示できない。(違うメモリーアドレスを参照して表示してしまうんですかね?)
今回は、3)のケースが何回か出ました。その局とは無事に交信終了できているのですが、その後に何度も73を送ってきているかのように見えてしまっていました。また、プリフィックスしか表示してくれないケースがありました。
そんな不具合はありましたが、20QSOくらいできました。明日は3Aに移動です。
(3月30日)
モナコのホテルのチェックインまで時間があるので、午前中に海岸まで散歩、また、近くの川のそばの道を歩いてきました。下の写真は、鉄道の駅です。
曇り空で、海岸は少し暗い感じでした。フランスの街並みは綺麗です。
川は上流の土壌の関係で、白く濁っています。道では散歩する人、自転車の人、ワンコちゃんに会いました。ここではワンコちゃん連れの人が多いと感じました。
川の周りは公園になっていて、案内板もしっかりしていました。気温が高いのか、大きなホールそばの公園ではお花も咲いていました。
(3月と言うのにチューリップが咲いていた!)
有名なシャンペン「TAITTINGER」のラベルを見かけました。その昔、モンブランに行った帰りにシャルル・ドゴール空港でお土産に買いました。日本に戻ってから妹と飲んだのですが、口に入った途端に「シュワッと来て、液体が消えてしまう!」という謎の動作に出会いました。長い人生の中で、この挙動は一度しかありません。ちなみに、「何て読むんだ?」と妹に聞いたら、
「タイチンガーかねえ?」
調べてみると「ティタンジェ」でした。フランス産ですから・・・。
ご近所のブーランジェリー(パン屋さん)に買い物に行ったのですが、いつ行ってもお客さんが大勢いて途切れません。ウインドウに飾ってあったチョコレートモニュメントを写真に撮って帰りました。フランスは、お洒落感を感じます。
2024年
3月
28日
木
前回イタリアに来た時は、イタリアには別エンティティがあることに気づいていませんでした。それで一歩足を延ばして、サルディーニャ島で少しだけQRV。14MHZFT8で3局でした。(空港から遠くに山々が見えます。また、立派なお城も見えました)
2024年
3月
28日
木
昨日の夕方成田を出発し、アブダビ経由でローマに遣って来ました。今回はエティハド航空利用で、セイシェル以来2回目です。
ヨーロッパに来るにはKLMやAirFranceと言ったヨーロッパの航空会社の飛行機が便利ですが、今回は思ったような料金の便が見つからず、時間は掛かるけれど少し安めの料金だったエティハド航空を選ぶことにしました。良かったのは、食事が美味かったこと! 今までに乗った飛行機では一番と思いました。
(今回の旅の主眼は、実はモナコでの運用なのですが、日本からモナコには直行便がなく、せっかくどこかを経由するなら、前回1月に来て様子の分かっているローマ経由にしようと考え、それならバチカンをみてきたいなあ、とスケジュールを組みました)
バチカン市国についてネットでいろいろと調べたのですが、入国の具合がよく分かりません。入国審査があるのか、入場券がないと入れないのか、など・・・。
美術館や礼拝堂への事前チケット予約・販売の話は幾つか載っていて、有名な絵画を見られるといいなあと、あれこれ悩んだのですが、飛行機が遅れた場合にはフイになってしまうし、雨が降って歩けないような場合はどうしようか? などと考えているうちに、出発の日を迎えてしまいました。結論から書くと、以下でした。
1)入国に際し、審査は無い。
2)サン・ピエトロ広場のモニュメント辺りまでは無料で入れる。
3)美術館などへの入場には事前予約の入場券購入がが便利。当日だと3時間待ちに
なることも!
4)荷物検査用の機器が複数台見られたので、そういう検査もあるのかも・・・。
ファウミチーノ空港に荷物をデポし(ターミナル3地下階の、バスステーション付近に荷物を預かってくれる場所があり、朝7時から営業)、すぐそばのバスステーションで12番の便が「テルミニ行きでバチカンに停まる」ことを見つけて、それに乗ることにしました。立派なバスで、シートベルト付きでした。8ユーロで45分掛かりました。
サンピエトロ広場に入ってすぐに、大勢の人が列になっているのが見えました。大聖堂などの施設の中に入るための当日券を買う人の列かな、と思ったのですが、どうも感じが違います。バチカン市国の関係者の方の様子や、お巡りさんの発言をあれこれ聞いてみると、結局、以下のように思われました。
1)列はあるんだけれども、どこかに入場券を売るような建物は見当たらない。
2)今日は何か特別の式典があるらしく、午後一時からしか入場はできない。
3)式典に入場して行く人がポツポツあるけれど、皆さん何か招待状のようなものを
手にしている。
それで、帰る時間のことも考慮して、市国を一周してみることにしました。バチカン市国への入り口は、広場とは反対方向の美術館側にも一か所あって、そこも見ておきたいと思いました。
で、歩き始めたのですが、美術館手前の歩道にはやはり長蛇の列があり、これは3時間でも難しいかも?と思いました。ただ、その列は止まったままで、事前予約をして入場券を追っている人たちだけが入場を許されて中に入って行きます。(なので、美術館入り口周りはそれほど込んでいるようには見えません) サンピエトロ広場同様に、こちらでも入場券売り場のようなものは見当たらず、当日券の発行がどんな具合なのかは、結局分からずじまいでした。結論としては、どなたかが書かれていたように、夕方4時頃に入れば空いていて待たなくて良い!
バチカン市国は、サンピエトロ広場方向以外は高さ10mほどの城壁で覆われています。一周して広場に戻ったら、ちょうど式典が始まったところで、大きなディスプレイに法皇様のお姿も拝見することが出来ました。
(帰りの広場の行列は400mくらいと感じました)
その後、テベレ側沿いに建つサンタンジェロ城、テベレ川、パンテオンを経由し、最後にトレビの泉を拝見して、テルミナ駅へと向かいました。(帰りはレオナルド・エキスプレス。=テルミニと空港間ノンストップの特急列車)
・ローマは道が複雑で分かりにくい!
・Google地図は正確性に欠ける! (サンタンジェロ城のすぐ前にテベレ川に掛かった
橋があるのに、地図上ではそう見えない・・・)
・どういう訳か、遺跡を説明するものが少ない! トレビの泉も、その旨を書いたもの
がなく、物売りの方に聞いて、ああ、やっぱここが・・・、と思った次第。
トレビの泉前は、各国からの旅行者でごったがえしてました。韓国の方と中国の方、
日本の方が、言葉で分かりました。東洋からのお客さんが多いなあ、と感じました。
ちなみに、ローマでは公衆トイレは入場料が必要です。1ユーロです。おつりが出ないので、小銭が必要! テルミニ駅でトイレに入ろうとしたら、小銭が無くて焦りました。日本は、公共機関がよく頑張っています!
2024年
3月
26日
火
今日は朝からザンザン雨、気温も3℃と寒さを感じますが、あれ、っという間に4月の声も聞こえてきました。
CQ誌も4月号です・・・。
今月号ではJE1SPYさん執筆の「カムバックハムのためのDXコンテスト再入門」が勉強になりました。
(特に、垂直アンテナの動作・性能に関する件)
最近のCWコンテスト運用スタイルは「コンピュータが信号を符号化して、その局が未交信なら自動的に応答する!」とか・・・。うーん、自分が熱心に呼んでも、応答するのは機械なんかあ・・・。嫌な時代になりましたね。
FT8のMSHVなんか、仕掛けておくと、人間が全く介在せずに2時間でも3時間でも交信を続けるそうです。アマ無線遣る意味、あるんかいな?
この時期、野に餌になるものが少なく、鳥さんは大変です。ヒヨちゃんはパン切れが好き、スズメちゃんやムクは、粟の実なども食べる。昔は人間が営む稲作作りも、落ち穂を残して野鳥の餌もあったのだろうけど、効率を上げて総ざらい収穫できるようになってからは、人間一本槍の生存方式に移行して・・・。
沢山の種類の生き物が、一緒に仲良く地球に暮らしているのが良いんですよね・・・。
2024年
3月
25日
月
足首に怪我をされている状態でも千秋楽出場・・・、凄いですね。彼はまだ24歳とのこと、溌溂として羨ましいです。今後の活躍を期待します。
今週はコンテストがない、珍しい週でした。お天気も今一。
何が原因なのか分からないのだけれど、この頃、無線に対する’遣る気’が失せています。2013年に初めてパラオやサイパンに行った・・・、あの頃が懐かしい。
10年は、あっという間でした。
2024年
3月
20日
水
今年もSWL参加です。15時に東海QSOコンテストが終わり、すぐにこのコンテストが始まったのですが、その地方の局しかお相手にできないコンテストとは違って、このコンテストは参加者全員のお互いの交信がOKのルールで、忙しさが違います。(こういうコンテストの方が密度が高くて楽しい) 17時からソドンヨ放映だったので、最後の1時間はCMの時間に少し聞いただけですが・・・。
ちなみに、翌木曜日の朝の気温は-7℃です。3月なのに寒いです。
2024年
3月
20日
水
昨年はSWL参加でした。今年も。
⇒私の場合、JAコールサインで出るとカードが来るのが苦手で、SWL部門があるコンテストは、極力SWLで出ています。6時間のコンテストですが、お昼は買い物に出ます。
今朝の気温は0℃、外ではサンサンと雪が降っています。
(静かに雪が降り積もる様はシンシンと、が正しいと思いますが、今回は大粒のものが情け容赦なく降ってきている感じで、静けさがないので、こう書いてみました。雨のザンザン降り、みたいな・・・)
幸い、庭に来るピーちゃん達は元気です! (左の写真が、10分で右のようになってしまいました)
3日ほど前から、目が悪くなってきた! と感じます。新聞が見づらくなった。
⇒弱りました。大雪です! 僅か30分ほどで5cmは積もった。一日中か?
その後、雪は止んで日中は強い日差しがあり、道の雪はほとんど融けました!
コンテストは3.5MHZの参加者が少ない感じで(コンディションのせいで聞こえてこないのかもしれませんが)、午前中10時時点で昨年の7割程度、午後も頑張ったのですが、ほぼそのまま進み、結果、昨年の8割ほどのキャッチ数でした。今年から新設された1.8MHZは、一局も聞こえませんでした。残念・・・。
2024年
3月
19日
火
穏やかな一日でした。明日の20日は朝9時から夕方18時までコンテストがあることを鑑み、今日、お墓参りに行って来ました。家の周りでは、先日降った雪はほとんど消えていますが、お墓には20cmほどの積雪がありました。お線香は火事が怖いし、お菓子はカラスさん向けで実効性がないと考え、お花をあげてきました。私も日々、お墓行きが近づいています。
2024年
3月
17日
日
昨年はSWL参加でしたが、今年も同じく・・・。日曜日朝から聞いていますが、あんまり聞こえてきませんなあ。
この頃、朝6時半から日が入るようになりました。昨日は日中13℃で、暖かくなりましたね。午前中に買い物に出て、帰ってNHK杯の将棋を見たのですが、藤井さん、5五角成でミスしたかと思います。佐々木八段が優勝でした!
2024年
3月
14日
木
久々の良いお天気だったこともあり、友人と松本に行ってお城を見てきました。松本城は中学生の時に一回行って登って以来です。近場とは言ってもなかなか行くことが出来ませんでした。
松本駅から最初に市美術館に行って「ゴジラー1.0」の企画展示を見たのですが、アカデミー賞受賞後、急だったこともあり、VFX制作に関する6分ほどのビデオが流されているだけでした。が、いろいろと参考になりました。
お城の見学の後は、お城の東側にあるお蕎麦屋さんで昼食。久々の信州蕎麦で美味しかったです。お城は急階段で、昇り降りが大変。やっぱ足腰を鍛えとかんとなあ!
2024年
3月
13日
水
昨日は夕方4時頃から雪が降り始め、そのうちにサンサンと降るようになりました。
17時からBS4でソドンヨを見始めたのですが、そのうちにブロックノイズが出始め、視聴不可に・・・(放送がありません、というような表示になる)。雨の場合は大丈夫ですが、雪が大きな粒や綿雪状の大きな塊となって降るような場合は、宇宙からくる電波は家には届かなくなってしまいます。雪が5cmほど積もったこともあり、仕方がないので雪掻きをしていたら、そのうちに小降りになり、小雨に近くなったので部屋に戻ったら、番組は回復してました。UHFの電波はそういうもので仕方がないのだけれど、ちょっと残念な出来事・・・。(ちなみに、CH1、2、3、4が早めに駄目になり、CH7や11は視聴できる場合も多いので、受信方式の理屈が今一良く分かりません)
アマ無線の世界でも、関東圏に住むとVUは面白いのだろうけれど、信州の山の中ではUVはあまり楽しめません。
テレビの話題のついでに、番組視聴の感想を・・・。
21時からの「ザ!世界仰天ニュース」で、2011年2月に起こったニュージーランド・クライストチャーチでの地震災害についての番組放映がありました。直下型地震(マグニチュード6.3くらい)によってCTVというビルが崩壊、多くの日本人の若い方が亡くなった災害です。その放映の中で、すぐに家族が現地に向かったが、現場には行かせてもらうことが出来ず、何と10日間以上、子供たちに会うことが出来なかったとのこと。
街から100km以上も離れたところの宿泊所での半ば強制宿泊のような形での滞在、バスで毎日現場近くに行って帰るだけの日々・・・。一体どうしてそうなったのだろう?
現地警察からは「国際マニュアルにしたがって行動している」の説明だけしかなかったようですが、では、地震に会った人がニュージーランド人の場合、こういう対応はなされなかったのだろうな、と思えば、いったいどうしてこういう対応になってしまったのか疑問も残ります。また、この時、日本大使館は何をしていたんでしょう?
それと驚いたことに、その地震で倒壊したビルは少なく、全壊となったのははほとんどこのCTVビルだけだったようです。結局、「強度計算をしっかりしてなく、施工もいいかげんだった」ことが第三者委員会の調査で判明するものの、ビルの所有者・設計施工者の責任は問われなかった・・・。(かつてオーストリアで起こったスキーゴンドラの火災事故でも、担当セクションの責任は問われなかったように記憶します)
外国では、自分に責任があることは自覚しても、絶対に公の場でそれを認めようとはしない例が多い・・・。補償額があまりに大きいがために、口を噤むのではないかと思われます。
その昔、会社に勤めている頃、仕事で台湾に出張しました。現地に赴いている人の曰く、「道路を歩くときは十分に気をつけてください。交通事故で怪我をしても亡くなっても、示談金は良くて10万円ほど」 (裁判で相手方が悪いことが認められても、実質的に相手に支払い能力がなく、保険加入という概念もないので、要は泣き寝入りです)
日本を出て外国で何かの事故に遭った場合は、補償が無いことはむろんのこと、遺体も返還されず、現地でそのまま、さようなら・・・。今もその確率が高いのではないかと思われます。
私も海外への旅は多いのですが、いつもそういう覚悟を決めて出るしか仕方がありません。「旅は常に冒険的要素を含み、いつ一人淋しく死んでしまっても仕方がない」という覚悟がないのならば、どこにも出かけないのが無難です・・・。
改めて考えさせられた一日でした。